ミサトは車のシートに身を沈め、ハンドルに覆い被さった。

「・・・・・・・・・・」

「これだけ探して居ないということは、もう、NEO 3RD TOKYO には

居ないということだろうな。」

「!加持君!」

ミサトは驚いて振り返る。

リア・シートから一人の男が現れた。

中途半端に長い髪を後ろで縛り、顎には僅かに髭も生えている。

「なによもう!驚かせないで!」

「いやぁ、ついつい居眠りしてしまってね。」

加持はリアからサイド・シートに移る。

「ネルフの力をもってしても見つけられないとすると、

もう、ここには居ないということさ、」

「・・・じゃあ、・・・・」

「NEO 3RD TOKYOの外だろうな・・・・・」

加持は胸のポケットから煙草を取りだすと、火を付ける。

それが最後の一本で、空になったパッケージを加持は握りつぶした。

「まさか・・・・だって、まだ子供なのよ、」

「B-区やE-区にだって子供は大勢いるさ、最後の世代のね、」

ミサトは加持をじっと見詰めた。

「・・・・・・・もう、半年経つわ・・・・・無事かしら?」

「そこまでは俺もわからんね、」

加持は肩を竦めてみせた。

「無事に連れ戻したいのなら、急ぐことだ、」

「・・・・・・そうね、」





ミサトはキーを回した。









********







「わかってるわよ!そんなに何度も言わなくったって!」

「・・・・・じゃあ、行ってくるよ、」

シンジは2日振りに、ジャンクを拾いに出掛ける準備をした。

顔の腫れはもう十分に引いていたが、青黒い痣は残っている。

もう一度シンジはアスカを振り返ると、扉の前で立ち止まった。

不安げにアスカを見る。

「もうっ!しつこい!出ないわよ!外になんか!」

アスカは遂に声を荒げた。

「ご、ごめん、行ってくるよ!」

シンジは慌てて外に飛びだした。

重い音を響かせ、背後で扉が閉まる。

扉の向こうから、アスカの声が響いてきた。

「シンジこそ気をつけてよね、」

「わかってる。」

階段を駈け降りる音が、アスカの耳から遠ざかる。

その音がすっかり聞こえなくなるまで、アスカは扉の前に立っていたが、

やがてベッドに横になった。

「・・・・あーあ、つまんないの、」











いつもよりは遅めの出発だ。

トウジは既に出掛けていて、何処にいるのかはわからない。

「今日は何処にいるんだろうな、トウジ・・・・・」

シンジは大きな通りを横切った。

道には疲れた女が横たわっている。

暗い目をした同じ年齢ぐらいの少年が、こちらを伺っている。

老人がボロ切れを引き摺りながら、道を歩いて行く。

少し立ち止まり、シンジは老人を見送った。





何時の頃からか、NEO 3RD TOKYOの外の世界は腐っていた。

腐っていない外の世界を、シンジは知らない。

でも、あの老人は知っている。




外の世界が腐っていることを、シンジは半年前まで知らなかった。




「・・・・・・・・」




シンジは再び歩きだす。

その時、一台の青い車がシンジの脇を通り過ぎる。

このB-区に普通の車がやって来る事は、滅多に無い。

来るのは廃材を積んだトラックぐらいのものだ。

「・・・・・・・!」

咄嗟にシンジは走りだす。

それと殆ど同時に、青い車は急ハンドルでUターンをする。

持っていた袋を、シンジは放り投げた。

袋は車には届かず、地面に落ちる。

その行為は何の助けにもなりはしなかったが、

邪魔なものを捨てたシンジは、全速力で青い車から逃げた。

車はすぐ背後に迫っている。

この大きな通りを走っているままでは、車に追い付かれてしまう。

目についた脇道の一本に、シンジは飛び込む。

細い道ならば車は入ってはこれない。

積み上げられた塵芥をよけ、腐った水をはね上げ走る。

車はシンジが飛び込んだ脇道を少し行き過ぎた地点で、

埃を舞い上げ止まった。

急激なブレーキはタイヤ痕を道に残し、ゴムの匂いを辺りに漂わせる。





「加持君!車お願い!」


青い車からミサトが飛びだした。シンジの後を追って走る。

シンジは後ろを振り返った。

「待ちなさい!シンジ君!」

ミサトが追ってくる。

そのミサトを振りきるために、幾つも路地を曲がる。

シンジはどんどん深部に入り込んでいったが、

どんなに走っても、背後にミサトが着いて来た。

もう、自分が何処を走っているのか解らなくなっている。

それでも捕まる訳にはいかないのだ。




「はぁ、はぁっ!・・・・しつこい!・・・・ミサトさん!」




既に息は上がり始めている。シンジは己の持久力の無さを恨んだ。

何時までもこうして走っていることは出来ない。

このままでは、捕まるのも時間の問題だ。

何処かに身を潜めミサトをやり過ごすしかない。

シンジは走りながら、身を隠せそうな場所を探した。

何処にも隠れられそうな場所は無い。





”どうしよう・・・・!どうしよう・・・!”





そうしながら何度目にか角を曲がった時、シンジは何者かに腕をつかまれ

細い建物の影に引き摺り込まれた。

「!!」

後ろから抱きつかれ、白い手に口を塞がれる。

「しっ、静かに・・・・」

聞き覚えのある声。

シンジにはそれが誰なのか、直に解った。

全速力で走った心臓は激しく胸を叩き、背中には汗が流れる。

荒れる息を落着かせながら、シンジは声の云う通りにする。

影に身を潜め、息を殺し、ミサトが行き過ぎるのを待つ。

自分以外の呼吸を直側に感じた。

口を押さえている白い手からは、すずやかな香りがする。

鼻から深く息を吸い込み、シンジは酸素と一緒に

その香りを肺の中に送り込んだ。

不思議と落着いてくる。

心地よさに、僅かの間瞼を閉じた。





やがてミサトがシンジの目の前を、走り抜けてゆく。

直側に、シンジが潜んでいる事に気が付かなかったようだ。

細い建物の隙間を確認することすらしなかった。

完全に行き過ぎてしまうまで、シンジはそのまま動かずにいた。





ミサトの気配が遠ざかってゆく。



「行ったみたいだね・・・・・・」

ゆっくりと、シンジの体から腕が外される。

「あ、ありがとう・・・・また助けられちゃったね、」

シンジが振り返ると、そこには思った通りの人物が立っていた。

忘れるはずの無い印象的な銀の髪と、紅の瞳。

「君は何時でも、危機に晒されているようだね、」

そう言って、カヲルは笑った。

「そ、そんなこと・・・・・ないよ。」

シンジは困ったように、俯く。

と、カヲルの指がシンジの頤を捕らえ、顔を上げさせた。

「・・・・酷い痣になってしまった、」

カヲルの顔が間近に迫る。

瞳の中に、自分が映っているのが分かるほど近く。

思わず、シンジは呼吸を小さくした。

顔をカヲルから放そうとしたけれど、出来ない。

カヲルの白い指が頤を滑り、唇のかさぶたになった傷を撫でる。

そして更に指を頬までに滑らせ、痣に触れた。

指は痣を何度も往き来する。

落着き始めていたシンジの心臓が、再び逸りだす。

鼻先で揺れる、銀糸の髪。

その髪からも指先と同じ、すずやかな香りがした。


「あ、あの・・・カ・・・・カヲルく・・・ん?」

カヲルの指が止まる。

「覚えていてくれたんだ、」

「?」

「僕の名前だよ、シンジ君、」

「忘れる訳ないよ・・・・カヲル君は命の恩人なのに、」

シンジがそう言うと、カヲルは笑った。

「本当に?」

「もちろんだよ、」

再びカヲルが、シンジが戸惑うほどに顔を近付けてきた。

鼻の頭が触れそうになっている。

「・・・・・じゃあ、お礼をくれる?」

「え・・・・・・お、お礼?

僕にあげられるものがあれば何でも・・・・

でも、あげられるようなものは何もないと思うよ・・・・残念だけど、」

「・・・・・本当にそう思ってるのかい?」

カヲルがシンジの瞳をじっと見詰めた。

真摯なまなざし。

カヲルに躙り寄られ、シンジの背中は建物の壁に押し付けられる。

シンジは返事もできず、ただ頷いてみせた。

余りにもカヲルが近すぎて、返事が返せない。

僅かに、カヲルの目が笑ったような気がした。

そして次の瞬間、カヲルがこれ以上無いくらいに近くなる。

「?」

重なる口唇。

驚く間も無く、カヲルの舌が侵入してくる。

抵抗はしなかった。

出来なかった、といった方が正しい。

シンジはどうしたらいいのか解らないまま、カヲルの顔を見詰めた。

近すぎてもう良く解らない。

自分の息がカヲルに掛かるのではないかと、シンジは息を止める。

自分の口の中にある、自分以外の感触。

不思議に、不快では無い。

シンジはカヲルのされるに身を任せた。

抵抗しないシンジの口中を、カヲルは思うままに侵す。

深く。

「・・・・う・・・・っ・・・・」

やがて、息苦しさにシンジが呻いた。

カヲルの肩を押し返し、逃れようともがく。

「ふっ・・・!ううっ・・!」

漸くカヲルがシンジを開放した。

そのままシンジは、ずるずると地面にへたり込む。




「息ぐらいしなければ駄目だよ、シンジ君、」




何度も大きく息を吸い込んでいるシンジを覗き込み、カヲルは笑った。

シンジは困惑したように、カヲルを見る。

接吻は初めてだった。

接吻とは、ただ口唇を合わせるだけだと思っていたシンジは

驚きに言葉を無くす。

「初めてだったんだね・・・・・吃驚した?」

「・・・・・・吃驚した・・・・・・」

ぽつりとシンジは言う。

「ふふ・・・・でも、お礼はちゃんと貰ったよ、

しかも、飛び切りのをね、」

「え・・・・・?」

何のことだか解らず、シンジは頚を捻った。

酸素不足の頭が、必死に働こうとしている。

「君の、First・Kiss、」

「なっ・・・・・!」

カヲルの言葉にシンジは真っ赤になる。

まだ接吻すら経験していないことをカヲルに知られてしまい、

恥ずかしさに思わず声を大にした。

「かっ、からかわないでよ!」

「からかってなんかいないよ。僕は本気だよ、シンジ君。」

「・・・・・嘘だ、ほんとは可笑しいんだろ?」

「どうしてそう思うんだい?」

「だって・・・・・そうじゃないか・・・・

なんか、嫌だな僕・・・・カヲル君にはカッコ悪いところばかり

見られてる・・・・」

シンジは両手で顔を覆い、深く溜息を吐く。

これではカヲルに比べて、自分はまるで子供ではないか。

シンジは劣等感を強く感じてしまった。

カヲルがシンジの隣に座る。

「・・・・・・どうしてかな?シンジ君の中には今、

劣等感や自尊心とかいった感情が激しく明滅しているね、

僕が引き金になっている。」

「・・・・・カヲル君には、きっと分からないよ。

カヲル君は僕と違うもの。何でも出来て・・・・綺麗で強くて・・・・

でも、僕は何も出来ないし、カヲル君の様に強くない。

本当に、自分で自分が嫌になる・・・・」

カヲルは少しの間シンジを見詰め、考え込んだ。

どうしてこれほどまでに劣等感を持っているのか、不思議だった。

「・・・・シンジ君、君は自分で思っているほど無力ではないよ。」

「慰めはいいよ・・・・・カヲル君・・・・」

顔を覆ったまま、シンジは呟く。





カヲルがシンジの手首を攫み、強い力で自分の口元へ運んだ。

その手に唇を押し当てながら、シンジの目を見詰める。

シンジは驚いて、カヲルを見た。






深紅の瞳。




「では、君は一体何を望むんだい、シンジ君?」


The Next・・・・・